子供の頃は6月が好きだった。6月は梅雨の季節だし、祝日もない。だけど、6月生まれの私にとっては、誕生日というイベントの季節だった。
誕生日が嫌いになったのはいつからだろう。14歳か、15歳だと思う。誕生日が近づく焦り、年を重ねていく恐ろしさと虚しさ。毎年、やりきれない気持ちを抱えながら誕生日を過ごし、夏を迎えるのだ。
なぜこんなに誕生日が恐ろしいのだろう。
求められる社会的立場とのギャップ-社会のどこにも属せない
「25歳」の女性にどのようなイメージを持つだろうか。一昔前であれば、結婚して、子供がいても不思議ではないだろう。今の時代では、20代後半で独身でも珍しくない。独身であれば何らかの仕事に就き、少なくても3年は社会人経験を積んでいるだろう。
私は非正規雇用労働者だ。非正規雇用にも契約社員、派遣社員、アルバイトなど沢山いる。私は、その中でも最下層の「日雇いのアルバイター」である。週に最低4日は日雇いのアルバイトに行く。
日雇い先で、よく聞かれることがある。
「学生さんですか?」
違いますと答えると、「普段は何をされているんですか?」と聞かれる。
つまり、[普段は何かをしていて、空いた時間に日雇いのアルバイトに来ている]のが普通なのだ。事実、日雇いのアルバイトの現場では、主婦や学生、会社員の副業などで働きに出ている人が多い。
私のように、結婚もせずに日雇いのアルバイトのみで生活している人は、女性では稀である。(男性は意外と多い。なぜなら、力仕事の現場などで需要があり、日雇いのみでそこそこ稼げるからだ。)
この「普段は何をしているの?」という質問に対しては「少し前に仕事をやめて、今は就職活動中なんですよ。」と答えるようにしている。
日雇い派遣先での「学生?普段何してるの?」の問いに、クロスワード作家ですと適当に答えたら広まってしまい、クロスワードの人として認識された。地獄。
— 池田ラスカル (@rasukarurun) 2016年6月10日
自分の勤務先を名乗れない
先日、銀行の口座を開設に行った。給与振り込みの口座を開設するためである。この時に、書類に勤務先を書くように言われた。しかし、私は書くことが出来なかった。
日雇い派遣禁止法の例外に当てはまらない私は、いわゆる「派遣会社からの日々紹介」という形で働いている。派遣会社との直接雇用ではないので、派遣会社の名前を書くことはできない。
しかし、就業先も私を直接雇用しているという「認識」がない。「派遣さん」と呼ばれているし、あくまで日雇い派遣を雇っている感覚なのだ。社会のどこにも属していない感覚になる。
日雇いのアルバイトの収入は、月10万程度であり、足りないのでクラウドワークス というサイトで在宅ワークをして生活費の足しにしている。
私が出来るのは、タスク形式や簡単なプロジェクト形式の記事作成で、報酬は1文字1円以下の単価だ。私が書いた駄文は、どこかの個人のサイトやブログに乗り、アフィリエイト収入になっているのだろう。
この仕事を「フリーライター」として名乗ることはできない。もし「どんな記事を書いてるの?」「どんなところに載ってるの?」と聞かれると答えられないからだ。
私は、自分の職業や勤務先を堂々と名乗ることが出来ない。
年金も税金も払えない私
お金のない私は、国民年金も免除にしてもらっている。低所得なので市民税も一度も納めたことがないし、アルバイト代から所得税が引かれるが、確定申告で還付してもらっている。20代後半になろうというのに、消費税しか税金を払ってない。
ついでに言えば、元旦に親族にお年玉もあげたことがないし、実家に帰れば交通費とお小遣いをもらっている。
社会に取り残されていく感覚
中学時代の同級生は、社会人経験を重ねて自立している。教師になって副担任をしていたり、理容師になり実家のお店をついだり、保育士としてクラス担任をしている。大学時代は看護学を専攻していため、同級生は皆看護師をしている。.
3、4年目の病棟看護師は、既に中堅的役割だ。現場ではリーダー業務をこなし、夜勤もバリバリ入り、院内委員会や新人の指導係をしている。私はそのレールに乗っかることが出来ず、日雇いのアルバイトで何とか食いつないでいる。
1年、1年と年を重ねるごとに、社会が求める役割は増していく。もし30歳になっても今の日雇いアルバイトのままの生活を続けていたら…と考えると恐ろしくなるのだ。
自分だけが足踏みをしていて、同級生たちはどんどん次のステップをこなしているような気がする。
年を重ねるごとに、社会から取り残されていくような気分になるのだ。