ADHDのラスカルの手帳

20代でADHD(注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害)と診断/社会不安障害(対人恐怖症)/アルバイター

【ADHD記録】ADHDを診断された日の話

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ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)の池田ラスカル @rasukarurun)です。今回の記事は、私の人生で忘れられない「ADHDの診断を受けた日」の話です。

今から3年前の春、看護師として就職した私は、仕事でミスを連発し、精神的に追い詰められていました。6月中旬に精神的ストレスで休職し、休職中にADHDを疑った私はメンタルクリニックの主治医に相談し、大学病院で心理検査を受けました。

診察・心理検査を受けた日の記事がこちらです。

【ADHD記録】大学病院で初診・心理検査を受けた日の話 - ADHDのラスカルの手帳

<目次>

診断の日を待ち焦がれていた

心理検査を受け、「結果は1週間後、次回の診察でお伝えします。」と主治医に言われた私。1週間ひたすら時間が過ぎるのを待っていました。当時は休職中で、職場の知り合いと顔を合わせないために、一人暮らしの部屋に引きこもっていました。

真っ暗なトンネルの中に放り出されたような日々でした。「何であんなに仕事が出来ないんだろう」「どうして普通に生きていけないんだろう」「これからどうすればいいのか?」

挫折感と不安の中で悩んでいました。

Twitterで同じような悩みを持つ人をフォローしたり、ブログを読んでいるうちに“私はADHDでは?”という確信に近い気持ちが浮かびました。心理検査を受けてからの1週間は、間違いなく自分はADHDだろうと信じていました。

―今まで悩んできたことの答えが出る、薬を飲めば治るかもしれない…そんな希望を抱いて過ごしました。

CAARSの心理検査の結果は?

診察の日、診察室に入ると、すぐに担当医に「結果をお伝えしますね」と言われました。診察室のパソコン上には、前回行ったCAARS検査(自己記入式)の結果のデーターが映し出されました。

各尺度のT得点の数値

下記の表が私のCAARS検査の数値です(診察後に心理検査報告書をもらいました。)

A 不注意/記憶の問題 81
B 多動性/落ち着きのなさ 76
C 衝動性/情緒不安定 72
D 自己概念の問題 70
E DSM-IV 不注意症状 90
F DSM-IV 多動性-衝動性型症状 90
G DSM-IV 総合ADHD症状 90
H ADHD指標(鑑別のための項目が含まれる) 79

T得点の解釈について

  • 症状レベルが高いほど得点が高い
  • 平均値は50 
  • 66を超えるT得点は、平均をかなり上回る。71を超えると、平均をかなり上回る数値

 参照リンク:CAARS 日本語版 | サクセス・ベル株式会社

 

混合型ADHDの診断が下る

医師は、分かりやすく検査結果を説明してくれました。

「検査によると、全ての尺度で70以上の数値です。ADHDの症状が強く表れています。ガイドラインの検査基準も満たしています。

 不注意型症状も、多動性-衝動性症状の尺度も高値ですね。どちらか片方に偏っている人もいるのですが、〇〇さんの場合は混合型のADHDです。また、自己評価の低さや、自分に自信を失っていることもあらわれています。」

 医師の言葉が何の抵抗もなく頭に入ってきました。この1週間、ずっと診断を待ち望んでいたからです。

少し驚いたのが、多動性-衝動性症状の数値も強かったことです。私は不注意優位だと思っていたので意外でした。

 

薬物療法の提案

私が仕事についていけず休職していることや、検査結果で強い症状が認められたことにより、医師から薬物療法の提案をされました。

「薬によって症状が改善する可能性があります。ストラテラカプセルという薬があります。脳内の神経伝達物質を調整する薬です。

この薬によって不注意症状が改善され、落ち着きが得られる効果があります。今日からでも処方できます。」

 私は診断を受けるまでの1週間、毎日ADHDの薬について調べていました。この頃は(薬を飲めば症状がなくなり、また看護師に戻れるかもしれない…)という希望があり、すぐに薬物療法の提案を受け入れました。

 ただ、大学病院は診療時間が平日のみで、予約も取りにくいため、元々通院していたメンタルクリニックで治療を受けることにしました。そのための診療情報提供書を書いてもらい、大学病院を後にしました。

ADHDを診断されて少しだけ心が軽くなった

この頃の私は、休職中で自宅に引きこもり、抑うつ状態でした。毎日悲願的なことばかりを考え、現実が苦しくなってお酒に逃げて、倒れるように眠る日々。毎日自分のことを責めていました。

そんな中で“ADHD”という発達障害を診断され、不思議ですが少し心が軽くなりました。これまで理由も分からず苦しんでいた正体が分かり、そして薬を飲めば良くなる…という希望が見えたからです。

それからの私

この診断の日からまもなく、クリニックでADHDの治療を開始しました。それからはストラテラの副作用に悩み、効果に満足できずにコンサータという薬を試し、また副作用に苦しみ、転院もしました。

診断されて1ヶ月後に休職期間が終わり、退職届を出しました。看護師の仕事に戻る自信がなく、日雇いのアルバイトで食いつなぐようになりました。一人暮らしでお金がなく、Twitterやブログの読者からAmazon ほしいものリストを経由して食料をいただき、生き延びたこともありました。

(関連記事→Amazonほしいものリストを公開したら食べ物が届きました。ありがとうございます。 ADHDのラスカルの手帳

アルバイトを転々とし、派遣社員として働いてはすぐに辞めてきました。現在は製造関係のアルバイトをしながら、クラウドワークス を利用して在宅ワークをして、何とか食いつないでいます。薬も副作用に耐えながら飲んでいます。

あの日、診断によって人生のすべてが解決した訳ではないし、薬を飲めば魔法のように治る障害でもありません。「自分にできる仕事」が分からないまま、3年間ずっと、もがき続けています。

ただ振り返ってみると、休職してから診断を受けるまでの2ヶ月間が、自分の人生の中で一番辛かった時期でした。

診断をされたこの日、真っ暗だった道が少しだけ開けました。そして新しい人生が始まりました。

 

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