ADHDのラスカルの手帳

四国在住/20代でADHD(注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害)と診断/社会不安障害(対人恐怖症)/アルバイター

【ADHDと仕事】無断欠勤して騒動を起こして退職した話

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 ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)、社会不安障害(対人恐怖症)の池田ラスカル (@rasukarurun) です。未経験で就いた介護職の仕事を、2か月足らずで退職しました。周囲に心配と迷惑をかける泥沼の退職でした。

 恥さらしのエントリー記事ですが、この痛みを教訓として忘れないために書き残すことにしました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるように、私は何度も過ちを忘れ、そしてまた同じことを繰り返してきました。

今回の騒動で、上司にある言葉を言われました。

「大変なことをやってしまったと自分を責めたらだめ、いい経験をしたと思ってこれを生かさないと。」 

まだ鮮明な記憶の残っているうちに、騒動の一端を書き残そうと決めました。

<目次>

“逃げ出したい”という衝動がパンクするまで

 仕事を始めてからというもの「早く辞めたい」「自分には出来ない」「向いていない、間違いだった」という思いが積み重なっていきました。

その一方で、仕事をフォローしてくれる先輩への感謝の気持ちや、自分の将来のためにも介護というスキルを身に付けてバリバリ働きたいという思いもありました。

空回りしながら、やる気と不安が入り混じった気持ちで過ごす日々。

 少し慣れたと思えば、また新しい業務を覚えなくてはいけない。一人前になるにはどのくらいかかるんだろう、いつか失敗するんじゃないか、怒られるんじゃないか…

まだ起こっていない先の不安ばかりが頭に浮かび、仕事の前日はいつも寝れませんでした。そして寝不足で出勤していました。

  一般的に考えると、決して過酷な労働環境ではありませんでした。フルタイムではなく週4日の勤務です。数週間前に「仕事についていけない」とセンター長に相談して、「仕事のペースを落としていこう、ゆっくりやっていこう」と配慮してもらったばかりでした。

職場の人たちも、焦らさないように優しく教えてくれましたが、社会不安障害を持つ私にとってはそれすらプレッシャーになり、常に悪い考えを頭に張り巡らせていました。

 “辞めたい、仕事に行きたくない…”

部屋で1人でいると、そんな思いが頭に浮かびます。

 “1年だけ続けよう、3か月だけ続けよう、せめて今日1日だけ行こう…”

そんな風にして何とか気持ちを奮い立たせてきました。仕事の前夜はいつも憂鬱。毎朝家を出る時間も、電車に乗る時間も、次第にギリギリになっていきました。

 

 

無断欠勤をした日

「クリスマスイヴにフラれたサイレントガールクリスマスイヴにフラれたサイレントガール」[モデル:たけべともこ]のフリー写真素材を拡大

 その日の朝、アラームで目が覚めました。体も心も重たくて、なかなか布団から出られず、ウトウトしながら布団の中でスマホの画面を見ていました。

早めにアラームを設定しているのに、間に合うギリギリまでスマホでネットサーフィンをするのはいつものことでした。

仕事のことを考えると、自分が失敗する姿が浮かび、悪い方法へ頭を巡らせていました。スマートフォンの画面に表示される時間の表示を見ながら、時間が1分1分過ぎていくたびに心が押しつぶされそうになりました。

いつもならギリギリの時間に布団から這い出て、何とか身支度をしていました。しかしその日は「行きたくない」という気持ちが勝ってしまいました。

職場に連絡をしないまま逃げてしまった

 「休む時は職場に電話する」というのは社会人として最低限の常識です。欠勤の電話は、朝早く掛けても繋がらないため、出勤時間30分前まで待つことにしました。しかし、待っている間に二度寝してしまいました。もう最悪です。

気が付くと出勤時間を10分程度過ぎていました。そこで早く連絡をすれば良いはずが、“怒られるのはないか”という恐怖で連絡が出来ず、現実から逃げるようにスマートフォンの電源を切りました。

無断で休むことが、どれだけ迷惑をかけるか…どれだけ騒動を起こすか…。冷静に考えれば分かるはずですが、その時の私は“社会からとにかく逃げ出したい”という気持ちでいっぱいでした。

“電話をかけても、自分の体調や状況をうまく話せない。頭が真っ白になってしまうだろう…出勤時間を過ぎてから連絡しても、きっと怒られるだろう…職場で悪く言われる…”

そして、目先の衝動を優先しました。今になって、この時のことを後悔しています。そしてこれから先も何度も後悔すると思います。

   

インターフォンに出ず、部屋に閉じこもる

  出勤時間を過ぎた後、スマートフォンの電源を切りました。電話が鳴るのが怖かったのです。そして社会から逃げた私は、唯一の居場所である自宅に“閉じこもり”ました。

真っ暗な部屋で布団をかぶり、目を閉じて、現実の問題から逃げていました。まるで犯罪者になったような気分でした。

 “今からでも職場に連絡するべきではないのか”

そんな考えもありましたが、時間が経てば経つほど電話をかけることが怖くて仕方ありませんでした。

 昼過ぎくらいに、部屋のインターフォンが鳴りました。動悸がして、心臓が止まりそうな気分でした。宅急便の配達かもしれないし、職場の人かもしれない…。立ち上がってインターフォンのモニターを確認することすら怖くて、体が動きませんでした。

 

 当日欠勤2日目

 朝4時ごろに、空腹で目が覚めました。昨日はとんでもないことをしてしまったという後悔に襲われました。この日もシフトが入っていましたが、もう“出勤する”という選択肢はありませんでした。スマートフォンは昨日の朝から電源を切ったまま。どこかに放り投げていました。

 空腹に耐えかねて、クレジットカード1枚を持ってコンビニに行きました。この時、スマートフォンも財布も鍵も全部、部屋に置いたまま外に出ました。普段はそんなことはありません。

 顔も洗わず、ジャージ姿のまま早朝のコンビニに行きました。甘いパンとレモンティーを買って、そのままふらふらと散歩をしました。 

早朝の街は、人通りもなくシーンとしていました。なぜか家に帰る気にはなれず、会館前の図書館のベンチに座って、ボーっとしていました。

 しばらくすると人通りも増え始めていました。サラリーマンや学生の姿を眺めながら、“どうしてあの人たちは皆、社会に適応できているんだろう”と思いました。

図書館の開館時間になり騒がしくなると、またふらふらと歩き、穏やかな川の流れる河川敷にいきました。ぼんやりと川を眺めながら、このままどこか遠くに行きたいような気持でした。

留守中に、上司が自宅に立ち入り

「玄関の外に貼っても問題化しないものだけにしよう!!玄関の外に貼っても問題化しないものだけにしよう!!」のフリー写真素材を拡大

 あとで分かったことですが、その時自宅では騒動が起こっていました。その日も無断欠勤した私を心配して、昼頃に上司2人がマンションに訪問していたのです。現場トップの、管理職クラスの2人です。

一人暮らしの職員が出勤してこない、連絡も取れない…。事故や事件では?部屋で一人で倒れているのでは?

そう心配していたそうです。

 インターフォンを鳴らしても出ないので、試しにドアノブを捻ってみると、鍵が空いていたそうです。この時私は、鍵をかけないまま、電気も消さないまま部屋を留守にしていました。

玄関のドアを開けて名前を呼んでも返事がなかったため“もしかしたら部屋の奥で倒れているかもしれない”と考えたようです。

 上司はすぐに立ち入ることはせず、まずマンションの管理会社に電話をしました。管理会社は、私の家族(賃貸の保証人)に確認を取り、「部屋に入っても良い」という許可を得た上で、上司は部屋に入ったそうです。

あとでこの話を上司から聞いた時に、本当に沢山の人を巻き込んでしまったんだなと思いました。その時のことを想像するだけで苦しくなります。

 

上司にバレた生活―散らかった部屋、薬、発達障害…

 多くのADHDがそうであるように、私の部屋はいつも散らかっています。この時は毎日仕事のことで頭がいっぱいで、精神的に余裕がなかったこともあり、全く片付けをしていませんでした。

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 玄関から部屋までの通路も、ゴミ袋や段ボールで占領され、床のいたるところにゴミが散らかり、流しには食器が溜まっています。そして部屋のドアを開けると、狭いワンルームは物であふれかえっています。上司2人にとっては“足の踏み場もない”状況だったでしょう。

 私はもちろん、家族以外をこの部屋にあげたことはありません。家族ですら見られるのが恥ずかしい部屋を晒してしまいました。

 部屋の中は、私が隠していた「障害」を明るみにしました。壁に貼られた薬用のカレンダー、小分けにされた薬のケース、散らかした薬のシートの殻…。本棚や机の上には「発達障害」「不安障害」「コミュニケーション」に関する本やパンフレットがずらっと並んでいます。

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上司2人は部屋の光景を見て、私が発達障害を持っていること、薬を飲んでいることをはじめて知ることになりました。

 

退職届と詫び状の送付

 その日の私は、夕方まで外をふらふらしていました。スマートフォンも鍵も自宅に置いたままでした。家族に連絡がいっていることも、上司2人が部屋に上がり込んだこともまだ知りませんでした。

無断欠勤2日目、夕方になると少し冷静になり、どうしようもない後悔や罪悪感に襲われました。せめて手紙を書きたいと思い、自宅に帰りました。

 自宅の様子は何も変わりはなく、テレビもついたままでした。その頃には上司2人は帰っていました。鍵をかけていなかったとはいえ、まさか一人暮らしの部屋に、上司2人が部屋に上がっていたなんて考えもしませんでした。

 スマートフォンの電源はずっと切りっぱなしでした。電源をオンにしようとは思っても勇気が出ず、代わりにボールペンとコピー用のA4用紙を取り出しました。まずは退職届を書きました。まさかこんなに早く書くことになるとは思わず、本当に情けない気持ちになりました。

 そして2枚目の紙に、詫び状を書きました。無断欠勤したことへの謝罪や、健康上問題があったことなどを書き連ねました。書き始めると手が止まらず、白紙のA4用紙をびっしりと埋め尽くすくらい書いていました。気が付くと涙が止まらなくなり、冷静に読み返すことも出来ず、2枚の紙を封筒に入れました。

 速達で少しでも早く届くように、コンビニで400円分の切手を買い、帰り道にポストに投函しました。家に帰ると、なぜか急に部屋を掃除しなくてはいけない気分になり、ビニール袋を片手にゴミをかき集めたり、溜まった食器を洗いました。

 

 手紙を書くことで自分の気持ちや周りの状況と向き合うことが出来た私は「明日こそ上司に直接会って謝ろう」と決心しました。深夜になると、眠気に耐え切れずにカーペットの上で眠りました。

 

欠勤3日目―上司の訪問と面談

 翌日はインターフォンの音で目が覚めました。午前10時頃でした。何とかドアの前まで行き、恐る恐るドアを開けました。上司2人の姿がありました。

上司は私の顔を見るなり「良かった、居た。」と安堵していました。私は、まともに顔を見ることが出来ず、状況も説明できず、とにかく頭を下げて「すみませんでした」と繰り返しました。

 深夜まで掃除をしていたとはいえ、まだ散らかった部屋に上司2人を上げるのは申し訳なかったです。

「何してたの?どこに行ってたの?仕事で何かあった?心配してたよ」

 色々聞かれましたが、うまく説明できませんでした。自分でもこの3日間、どうやって過ごしていたのか曖昧でした。その時は“今日は休んでから何日目なのか”ということすら分かりませんでした。

 顔を伏せたまま泣いている私にかける言葉もなくなった上司は、散らかった部屋の掃除を始めました。本当に申し訳ない気持ちでした。穴があったら入りたいような気分でした。

それから1時間くらいを経った頃、会社から連絡を受けて、母親が来ました。この日私が見つからなかったら、警察に捜索願を出すつもりだったようです。

上司がかけてくれた言葉

 母親が上司に「本当に迷惑をかけてすみませんでした。」と謝っているのを聞きながら、改めて自分が起こしてしまったことを後悔しました。そこから、上司は色々な事を話してくれました。昨日部屋に入ったこと、管理会社を通して家族に連絡したこと…。

私は何も言えず、ただ正座のまま頭を下げたままでした。

「悪いけど家族の許可を取って昨日部屋に入らせてもらって、色々な本や薬が目に入った。一人で色々苦しんできたんだなと思った。」

「障害は周りに理解してもらいにくい社会だし、言えなくてもしょうがないと思う。気付いてあげられなくてごめんね。」

「悩みながら頑張っていたと思うし、誰にも言えなくて辛かったと思う。周りも怒ってない。無事で良かった。」

「今自分のことを責めていると思うけど、大変なことをやってしまったと思ったら駄目。いい経験をしたと思ってこれを生かさないと。」

 

   ただただ上司に言葉に耳を傾けて、時折「すみませんでした」と謝ることしかできませんでした。目を合わせることが出来ず、正座で手をついて顔を下げたまま、ずっと泣いていました。

 

それからの私

 その日上司が帰ったあと、後悔と罪悪感に襲われました。もう立ち直れない、会社にとんでもない迷惑をかけて、怒られても仕方ない。それなのに温かい言葉をかけていただきました。

 こんな私は、まともに生きていける資格がないとすら考えました。だけど「これを良い経験だと思って生かして」という上司の言葉が心に突き刺さりました。

もうこんなことを繰り返さず、これを教訓にして、社会ときちんと向き合って生きていかなくてはいけないと思いました。

 その後、郵送した退職届は受理され、退職しました。

後日連絡があり「またこの仕事がしたい、戻りたいと思ったらいつでも連絡して」と声をかけていただきました。今は合わせる顔もないし、同じ仕事をやれる自信もありません。

だけど、この時の上司や家族の温情を無駄にしてはいけない。この出来事を忘れないために書き残しました。

これからは、自分にとって無理のない仕事を、無理のない範囲でやっていこうと思います。そして、障害者雇用も考えながら仕事を探します。

いつかちゃんと稼げるようになったら、辞めた職場に寄付がしたいです。経営も人手もギリギリで運営している施設でした。忙しい時期に迷惑をかけたことが本当に心苦しいです。いつか恩返しがしたいです。

どんなことがあっても、生きていこうと思います。