ADHDのラスカルの手帳

四国在住/20代でADHD(注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害)と診断/社会不安障害(対人恐怖症)/アルバイター

仕事を辞める時はいつもバットエンドだった【ADHDと仕事】

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ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)・社会不安障害の池田ラスカル

 (@rasukarurun) です。倉庫作業のバイトを辞めて、ハローワークで求職活動をして、新しいパートが決まりました。入職日まで時間があるのでグダグダしています。

まとまった貯金もなく失業したので、新しい仕事が決まるまでの間はお金に苦労しました。このまま息絶えてしまうのではないかと思いました。

Twitterのフォロワーさんやブログ読者の方からAmazonほしいものリストを通して食べ物を頂きました。ありがとうございます。

今まで何度も仕事を辞めてきました。就職活動は「消してしまいたい過去の職歴」や「何もできない自分」と向き合わなければいけませんでした。

そこが一番苦しかったです。自分の敵はいつも自分です。

「次の仕事こそしっかり続けよう」と思う反面、勢いで新しい仕事を決めてしまったのでやっていけるか不安です。

<目次>

今まですぐに仕事を辞めてきた

履歴書を持参したパートの面接で言われたのが「今まで仕事が続いてないですね~」です。一貫性のない職歴欄、何度も登場する「一身上の都合により退社」の文字…人事担当の顔も曇っていました。

予め「仕事を辞めた理由」をひとつひとつ用意していたのですが、あまり聞かれませんでした。人手不足の業界なので採用になりました。

私の“すぐに辞めそうオーラー”を感じ取ったのか、人事担当者は「この仕事はすぐに辞める人が多いです。」「現実は厳しいです。やっていけそうですか?」「長く続けてほしいです。」と、繰り返していました。

 

傷跡だらけの履歴書

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履歴書を書くのが嫌いです。

「いつ休学したっけ?」「いつ辞めたっけ?」と混乱しながら、あまりの複雑な学歴・職歴欄を埋めていきます。学歴・職歴欄を1行埋めるごとに、過去の失敗体験を思い出して憂鬱な気持ちになります。

社会保険に入らず短期で辞めた仕事もあるのですが、ハローワーク担当者のアドバイスで職歴から省きました。

完成した履歴書を見て(ここを突っ込まれるんだろうなぁ)と思いながら、想定される質問の回答を考えていきます。

 

なぜ高校が通信なのか、なぜ休学したのか、なぜすぐに辞めたのか、なぜ職種を変えているのか、なぜ資格を生かした仕事をしないのか、なぜ新しい職種に挑戦しようと思ったのか…。

 

その全てに正直に回答していたら、間違いなく落とされます。障害者雇用ではなく、一般雇用の採用面接でした。お金がない私は、とにかく1日でも早く仕事を決めるために、障害を隠すクローズ就労を選びました。

そのためには、「まともな人間」のフリをしなければいけません。だけど体裁を取り繕うのも限界があります。

いっそ学歴や職歴を偽造してしまいたい…そんなことをふっと思ったこともあります。

どうせ入職したら取り繕った皮も剥がれるので、できるだけ素直に答えようと思いました。

「うちは人手不足で1人でも2人でもすぐに欲しいんです。」と言っていた人事担当者は、私の学歴・職歴欄の闇を感じ取りながらも、さらっとしか触れませんでした。

 

ADHDは中退率・離職率・転職率が高い

 

成人のADHDに関する書籍を読んでいると、留年を経験したり、離職・転職などを繰り返す事例が出てきます。特にこの「VOICE新書 知って良かった、大人のADHD」を読んでいると、まるで自分そっくりの女性の事例が出てきて驚きました。

厚生労働省の統計によると、発達障害者の37.5%が1年以内に離職しているそうです。

参考リンク:発達障害のある人の就労の現状と課題 - 厚生労働省(PDF)

 

いつか円満退社は出来るのだろうか?

「新卒で入職した会社で定年まで勤め上げる人」を見ると尊敬します。定年じゃなくても、辞める時に送別会で送り出されるような、花束を貰えるような辞め方ができる人は素晴らしい。

せめてお世話になった人に、きちんと挨拶してから辞めれる人間になりたいです。今まで何度も仕事を辞めてきて、それができませんでした。

「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がありますが、私の去り際はその逆でした。いつも見苦しく、跡を濁すどころか、軽い爆弾を落とす感じで辞めました。

辞めた後はいつも数日だけ解放感を感じるのですが、そのあとは心の重荷になっていきます。「記憶から消したい。」「私のことはできるだけ早く忘れてほしい。」という思いで押しつぶされそうになりました。

辞めた飲食店の前を通るとき、息が止まるような気持ちになります。わざと遠回りをすることもあります。かつての職場の最寄り駅を電車で通過するとき、後ろめたいような恥ずかしいような、気持ちを抱きます。

 

限りなくバックレに近い退社

初めてのホームセンターのアルバイト

初めてバイトをしたのは、ホームセンターでした。通信制の高校に通い、ひきこもりに近い生活をしていました。

ガチガチの社会不安障害だった私は、3日目くらいの出勤でパニックになり早退しました。

次のシフトは無断欠勤して、折り返しの電話にも出ませんでした。そのまま退職。数か月後に通帳を見ると、きっちり数千円が振り込まれていました。

それ以降、そのホームセンターには一度も入店していません。地元に帰省して、ホームセンターの前を通るたびに、犯罪者のような気持ちになりました。

ずっと昔に数日で辞めた私のことは、もう誰も覚えていないだろう。きっと店長もスタッフも入れ替わってるだろう。そうは思っても、あのホームセンターに足を踏み入れることはできません。

 

私が日雇いアルバイトをしてきた理由

ホームセンターのバイトと同じように、飲食店や工場のアルバイトを辞めました。社会保険に加入していなかったので、すぐに辞めることができました。

その後の看護師の仕事、派遣社員の仕事も、身も心もボロボロになって数か月で退職しました。

過去に日雇いのアルバイトで食いつないでいた時期があります。一人暮らしで日雇いの収入で生活するのは苦しかったです。

それでも日雇いをしてきたのは「1日で仕事が終わるから」です。嫌な現場でも、その日だけ我慢すればよい。

もう二度と行かなくて良い…そう思うと頑張れました。不安定な生活でしたが、「いつでも辞めれる」ことで心に余裕が持てました。

 

はじめて 1年以上続けた倉庫軽作業のアルバイト

私が初めて「1年以上」続いたのが、某倉庫の軽作業のアルバイトでした。

「もう簡単に仕事を辞めてはいけない」「ここを辞めたら他にできる仕事がない」と思っていた私は、この仕事にしがみつきました。

日雇いで来た大学生が「もう二度とここに来たくない」と言うような現場でしたが、私にとっては居心地の良さもありました。

何度か寝過ごして遅刻したり、当日欠勤をすることもあったのですが、同じような人たちが集まった職場だったので、何とか続けることができました。

結局ここでも精神的・身体的に追い詰められ、欠勤を重ねたのちに逃げるように退社しました。退社の理由は、雑記ブログに少し書いています。

辞める時は何とか職場に電話を入れて、詫び状と退職届を送付しました。

 

出来ないことを、できないと言える勇気

私は仕事ができません。フルタイムで働くキャパシティもありません。だけど、できなことを取り合えず「できます」と言ってやり過ごしてきました。

コップの水があふれるように、限界になるまで耐えて、結果的に逃げるように退職していきました。ADHDで仕事の要領が悪い上に、社会不安障害の影響で、「報告・連絡・相談」という基本的なことができませんでした。

看護師時代の上司の言葉を、よく思い出します。

「報告・相談・連絡さえきちんとできていたら、新人として合格。仕事が出来なくても大きなアクシデントは起こらない。」

その言葉の重みを、最近よく実感します。新しいパートの入職日までの間に、こんな本を読んでいます。

 

基本的なことですが、 出来ないこと・失敗したこと・分からないことをきちんと伝えていきたいと思います。

きっとまたすぐに壁にぶち当たって逃げ出したくなるでしょうが、新しい仕事をやれるところまでやってみます。