ADHDのラスカルの手帳

四国在住/20代でADHD(注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害)と診断/社会不安障害(対人恐怖症)/アルバイター

【雑記】私の現在地と、不安な未来の行方

ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)、社会不安障害の池田ラスカルです。また1つ歳を重ねたことへの思いを書きました。長い上に同じことばかり書いてる雑記です。

<目次>

 

ハッピーバースデー。歳を重ねていく虚しさ

 6月は誕生日だった。誕生日に受け入れがたい気持ちを覚えるようになったのは、いつからだろうか。歳を重ねるたびに、月日の流れる早さや、自分が過ごしてきた失敗の日々を嘆く。そして途方もない虚しさを覚える。「私は〇歳の大人としてふさわしい人間だろうか?」と自問自答する。そして誕生日を迎えるたびに、ますます年齢と自分の中身が引き離されていくように感じる。

 だけど鏡を見れば明らかに歳を取った自分の姿がある。この10年間、この2年間、この1年間何だったんだろう。自分が手にしたものとは…。そんなことを嘆きたくなる。10代だったころの自分が、今の私の姿を見るとショックで生きていけなくなるだろう。理想と現実は常にかけ離れている。

 

発達が障害されるということ

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 2年前にADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)という発達障害だと診断された。重ねて社会不安障害を持つ私は、社会生活のさまざまに苦しんでいる。職場、些細な人とのかかわりで「普通の26歳」が出来るような社会的な立ち振る舞いができない。自分の年齢を聞かれるたびに、書類に名前を書くたびに、いつも恥ずかしいような居心地の悪い気持ちになる。

 16歳の高校生よりも社会性がないし、18歳のバイト先の女の子より仕事ができないし、同い年の女性と比較すると明らかに差を感じる。自分だけ年齢に見合った成長ができずに、その場で足踏みするような感覚でいる。

 

社会の底と私の現在地

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 一人暮らし、週4日のアルバイトで生活している。障害者雇用ではなく一般雇用だ。毎朝ADHD治療薬のコンサータとストラテラを飲み、-14℃以下の冷凍倉庫に行く。ボロボロになった作業着を着て、肉体労働に耐えている。交通費を除けば手取りは11万。そこから国民健康保険料を払う。一人暮らしではギリギリの生活だ。年金は免除にしてもらっている。老後の生活よりも、一ヵ月先の生活を常に案じている。求人は沢山あっても「自分ができる仕事」は限られている。休みの日には自宅で

 アルバイト程度の責任の仕事でも、自分には重たい。長時間勤務でもないのに、1日働いただけで頭も体もぐったり、2連勤すれば満身創痍で泥のように寝てしまう。遅刻せずに起きて電車に乗るだけで精一杯。社会人としてギリギリのところにいる。

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 この1年で時給はちょっと上がり、手当は減り、トータルでの手取りは下がった。相変わらず「仕事は遅いのに雑」だし、不安でいっぱいいっぱいになりながら、ADHDのぐちゃぐちゃの思考を抱えて働いている。「あの人はちょっとアレだね」的な評価を受け、人間関係でもうまく立ち回れない。苦しみの割に対価は少ない。最近、倉庫ではベトナム語や中国語が飛び交っている。いつか私の仕事も移民や人工知能に取られてしまうかもしれない。未来に私の居場所はあるのだろうか。

 

前に進めなくても、時間は流れ続ける。

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 何もしなくても、時間は流れ続ける。投げ出して、ふてくされて時間の流れに身を任せても、何も変わらない自分が歳だけを重ねるだけだ。「もう人生終わった」と思っても、実際は何十年も続いてしまうし、「もうどん底」だと思ったところからさらに底に落ちていく。

 時間は無常に流れていく。何も成長できなくても、ただ年老いていく。そして社会から自分の可能性を奪い、社会はさらに厳しくなっていく。今の自分のままで、27歳となり、28歳となり、そして30歳、40歳、50歳…と歳を重ねていってしまう。

 だから変わらないといけない。そのためには、1日1日と向き合って、失敗も少しの努力も全部積み重ねていかないといけないのだ。

 

「変わる」のは難しい。本当に難しい。

  毎日傷ついて、疲れ果てている。大したことはしていないのに、毎日「やり過ごす」ことに必死だ。休日は何もできなくて、自分にがっかりして、期待して、諦めて、また少し奮起して…。その繰り返しだ。いつも“出来なかった”言い訳を探している。このままじゃだめだ、変わりたいという気持ちだけが大きくなって、心が押しつぶされそうになる。

 成果はすぐに出ない。報酬系の弱いADHDは、成果のすぐに出ないことをコツコツ続けるのが苦手だ。ただ生きるだけでなぜこんなに面倒なのか、なぜこんなに苦しくて、どこにいても居心地が悪いのか…。投げ出したくなるし、ふてくされたくなる。

 それでも何かを変えたいと思って行動した日は、少しだけど昨日の自分と変わっているのだと思う。それはあまりにほんのわずかで気付かない。だからすぐに投げ出してしまうけど、きっと意味はあるのだ。

 数年前に読んだブログで、心に残った言葉がある。成果はすぐに訪れない : 孤独中年男の細々生活記というブログ記事だ。

 

自分を変えるって言うのは難しい。
何かを始めたからって、いきなり変わることができる訳じゃない。
成果というのは何かを始めて、じっくり続けて、気付かないほどの変化の積み重ねて、気づいたら変わってたって言う気の遠くなるような話なんだ。 

 

 心の中に残ったこの文章の重みは、私の中で年々増していってる。私は努力を続けることが苦手だ。目に見えないことを毎日コツコツやることが苦手だ。だけど目に見えない成果を積み重ねないと、自分を変えることはできない。

 

1日1ページの手帳を書く理由

 私はほぼ日手帳というスケジュール帳を使っている。この手帳は1日1ページ書き込めるようになっている。毎日寝る前に一日の記録を付けたり、日記のように使っている。

 面倒で何も書かずに空白の日もあるし、休みの日にまとめて書いてしまうこともある。それでも出来るだけ、毎日日記をつけるようにしている。その日やったこと、感じたこと、睡眠時間、食べたもの、仕事での失敗…。

 毎日の記録をつける理由は、自分の生活を変えたいからだ。ブログでも良いのだけど、手書きの方があとで読み返した時にその時の気持ちが伝わってくる。私は誕生日を迎えるたびに年を取るのを実感するけど、誕生日は365日の1日に過ぎない。時間は毎日流れ続けているのだ。それが積み重なって自分の人生になっていく。「自分を変えたい」その思いだけが大きくなって、だけど毎日何もできない自分を変えたくて日記を書いている。

 ダメでどうしようもない日々を過ごしている。毎日面倒くささにほんの少し耐えて、疲れたら休んで、毎日少しだけ勇気を出して恥をかいて、毎日少しだけ昨日と違うことをしてみる。それが1年間積み重なったら、何かが変わっているのかもしれないと思う。

 1年前にできなかったことが少し出来るようになったり、2年前に苦手だったことが少しだけ苦手じゃなくなったり、そんな風にして、歳を重ねるごとに生きるのが上手になれたら良いのにと思う。

 

「看護師」への未練

 私は新卒で看護師として入職した。入職する前も紆余曲折あり、留年や休学を経て卒業した。引く手あまたの業界でありながら、就職活動も何度か落ちるなど苦労した。向いてないことは分かっていた。これほど仕事ができないとは思わなかった。3年は頑張ろうと思っていた。実際は3ヵ月も持たず、休職して退職した。上司も呆れるほどの不注意を連発した。「報告連絡相談さえちゃんとしてればよいから」と言われて、それすら適切にできなかった。患者さんの命を守れるだけの力が無かった。

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 学生時代の成績は悪くなかった。国家試験の成績も全国平均より上位だった。なぜこんなにも必死にいっぱいいっぱいなのに、同期よりも仕事についていけないんだろう?休職中に悩み続け、そしてADHDだと診断された。私は発達障害者だ、看護師としての能力がない、努力でも乗り越えられないことがある。そう悟るような気持ちと、辛い職場から逃げたい気持ちが重なって退職した。

 「もう看護師には戻らない」と思って、日雇い労働や倉庫軽作業をしてきた。障害者手帳も取得した。ADHDの治療薬も飲むようになった。それでも、看護師免許を捨てることはできなかった。親に高いお金を出してもらい、年月を費やして取得した資格だ。講義のプリントも教科書も聴診器もメモ帳も捨てることができなかった。記憶と一緒に封印するようにクローゼットにしまい込んである。

 

 ほとんど未経験、ブランク有り。発達障害。薬の安定した作用を維持するためには、夜勤や交代制勤務は難しい。こんな私がまた看護師に戻れるのだろうか?と何度も自問自答したけど、一度挑戦してみることにした。新卒の頃と違って、今の自分は薬を飲んである程度症状を抑えられている。比較的負担の少ない非常勤で、負担のかかりにくい職場を探すつもりだ。

 ほとんど未経験なので、研修や教育環境のある職場でなければいけない。見つかるかは分からないし、見つかってもまた挫折するかもしれない。それでも良い。このまま20代のうちに看護師に戻らなければ、一生後悔すると思った。もう1度やってダメなら諦めもつくだろう。ここまで失敗ばかりの人生だから、今更失敗しても仕方ないと思った。とりあえず、復職支援の無料研修を受けることにした。

 

生きてて良かったと思うのは、優しさを受け取った時

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 誕生月の6月にも、Amazonほしいものリスト からギフトが贈られてきた。ブログの記事やTwitterの投稿を読んでくださった人から、匿名で贈られたものばかりだ。私を応援するメッセージや、ラッピングされたプレゼントの数々。メッセージや納品書は全てファイリングしてあるし、プレゼントの食料品は画像で保存している。

 私の毎日は敵意と人への不信感であふれている。職場でのこじれた人間関係の派閥、心の内を話せない主治医、一人暮らしで休みの日に会う人もいない。どこにいても誰といても、居心地の悪さを感じている。

 つらい毎日の中で、自分を大事にしてふてくされずに毎日を過ごすのは難しい。そんな毎日の中で、いきなり届く贈り物がどれだけ支えになったか。自分の気持ちが誰かに届いたと分かったこと、自分のことを応援してくれる人がいると知ったこと、それが何より嬉しかった。

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 武者小路実篤 の「この世に生きる喜びの一つは、.人間の純粋な心にふれることである。 」という言葉をよく思い出す。人からの善意や優しさ、純粋さを受け取ることが、私の生きる糧になっている。

 今年の誕生日はthe pillowsハイブリッドレインボウを聴いた。

昨日まで選ばれなかった僕らでも 明日を待ってる