ADHDのラスカルの手帳

20代でADHD(注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害)と診断/社会不安障害(対人恐怖症)/アルバイター

【ADHD記録①】 発達障害に気付かなかった二十数年間。

ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠陥多動症)の池田ラスカルです。

大人になってから「発達障害」と診断されている人が増えています。私もそのうちの一人です。私が10代の頃は、まだ発達障害という言葉が広まっていませんでした。

自分が発達障害だと思わずに過ごしてきた二十数年間を振り返りたいと思います。

<目次>

 

 

宿題や持ち物を忘れて怒られた小学生の頃

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子どもの頃から、どこか生きづらさを感じていました。周りに少し馴染めず、友人とトラブルになってしまうこともありました。それでも、振り返ってみると私の幼少期は幸せでした。優しい家族、穏やかな田舎、今はいない「友達」の存在…。

私の人生でもっとも幸福な時期だったのではないでしょうか。読み書きは人より覚えるのが早くて、小学生の頃は成績は中の上でした。しかし、授業中に上の空になったり、宿題や持ち物を忘れて怒られることはしょちゅうでした。

小学生レベルの勉強なら努力しなくてもついていくことが出来ました。面倒見のよい母親のサポートもあり、あまり不自由せずに小学校を卒業しました。

 

不登校になった中学生時代

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中学生になると、私の生活は一変しました。授業のレベルもあがり、課題の量も増えていきました。自主学習が苦手だった私はついていくことが出来なくなり、学力は一気に下がりました。

思春期で食欲が増し、暇さえあれば間食をしていました。衝動性が強く、欲求を我慢できなかったのです。次第に過食から体重は増え、容姿を気にして対人恐怖が強くなりました。

この頃からインターネットの世界にのめり込み、現実の世界を楽しむことができなくなった私はインターネットの世界に現実逃避しました。

中学校3年生になる頃には登校拒否を起こし、毎日自宅で腐るような日々を過ごしていました。

 

「子どもの発達障害」の特徴とは?

大人のADHD―もっとも身近な発達障害 (ちくま新書)という書籍から引用しました。

小児の多動に関する症状
  • 過度にお喋りをする
  • 落ち着いて座っていられない
  • 静かに遊んだり、課題に取り組むことができない
  • あちこち動き回ったり、体をそわそわ動かす
  • 走り回ったり、よく考えずに行動する。
小児の衝動性に関する症状
  • うっかり答えを口に出す
  • 順番を待つことができない
  • 他人に口をはさんだり、邪魔をしたりする
小児の不注意に関する症状
  • 注意を持続するのが困難(勉強、遊び)
  • 気が散りやすく、忘れっぽい
  • ケアレスミスが多い
  • 人の話を聞かない
  • 課題などを順序立ててできない
  • 整理整頓ができない
  • 物をなくしたり置き忘れたりする

 上記は、一般的に小児のADHDにみられる症状です。自分に当てはまっていた症状を太字にしてみました。不注意傾向がかなり強いことが分かります。

それでも何とか、当時は母親のフォローがあったため生活を送れていました。

 

健常者としてレールに乗った人生を夢を見ていた

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中学生でレールから外れた私。それでも、自分は普通の大人になれると信じていました。

(中学校を卒業すればやり直せる…大学に入れば…大人になったら…。)

そんな風に、未来の自分に期待をしていました。

何の努力も続かないくせに、未来は今より素晴らしいものだと信じていました。

 

私は、ずっと抱いていた夢がありました。

それは、医療系の国家資格を取得して、専門職としてキャリアを積み、経済的に自立をすることでした。

そして都会に住み、当時お気に入りだった小説のような恋愛をして、20代後半には結婚する人生設計を描いていました。

自分で考えたレールの上を進めば間違いないと思っていました。「普通の子」が夢見るには堅実な目標です。しかし、私は「普通」ではありませんでした。

 

 

看護師になりたかった

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小学生の頃から医療職に憧れていました。

かっこよくて、人の役に立てて、安定していて、将来性もある素晴らしい仕事だと思っていました。

何の才能もない自分でも、医療職に就けば特別な人間になれるような気がしていました。医師や薬剤師になれる学力はない私は、様々な医療職を調べました。

その中でも看護師が最も将来性があり、就職先の選択肢も豊富だと思い、看護師の道を選びました。自分に適性があるかどうかは、あまり深く考えませんでした。世話好きではなければ、責任感もない私…。それでも、自分は看護師として普通に働けると思っていました。

なぜなら「看護師は大変だが、努力すれば普通の人でも就ける仕事」であり「自分は普通の人間である」と思っていたからです。

自分にこれほどまで注意欠陥があるなんて、当時はまだ分かっていませんでした。そしてそれが、看護師として働くうえで大きなハードルになることも、また気づいていませんでした。

大学入試の面接で「自分のどのようなところが看護師に向いているか?」と聞かれたときに困った記憶があります。その場しのぎで面接を切り抜けました。

そして私は、第一志望の大学の看護学科に入学しました。

 

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